2009年 06月 09日 ( 2 )

消費者庁続き

記事続き。
もしかして 「聖子」と「生口」 かけている? 【消費者庁】■の続きです。

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by fanson2004 | 2009-06-09 20:26 | へっぽこ575+α

もしかして 「聖子」と「生口」 かけている? 【消費者庁】

東京都連主催によるJR吉祥寺駅北口の街頭演説会(6月7日)に
麻生太郎総裁がスピーチされる様子がニコ動にアップされていたので
ふやーっと拝見しておりました。
(大事なところはラスト2分でだいたいわかるかもです)

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「消費者」という言葉なのに「生口」という字が脳裏で点滅するのはなんでかなあって。

ウィキからコピペ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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生口(せいこう)は、弥生時代の日本(当時は倭)における捕虜または奴隷とされている。

107年(後漢永初1)に当時の倭国王帥升らが後漢の安帝へ生口160人を献じている(『後漢書』)。その後、倭王卑弥呼も239年(魏景初2)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人を、243年(魏正始4)に魏少帝へ生口を献じ、その後継者の台与も248年に生口30人を魏へ献じている(『魏志倭人伝』)。

生口は元来、捕虜を意味する語であるため、捕虜を起源とする奴隷的身分であると考えられている。時代的に献上物が豊富ではなく、そのため生口を送ったと見る向きもある。ただし異論も多く、捕虜と関係ない奴隷とする説や、あえて中国へ献上されていることから、単なる捕虜・奴隷ではなく、何らかの技能を持った者とする説もある。さらに中国への留学生とする説もあった。またこの時代は食人の風習があったので、そのための食材であったという説もある。魏志倭人伝の記述から、弥生時代後期に奴婢という奴隷階層がいたことが判っている。生口が奴婢と全く別の存在なのか、重複するのかは論が分かれている。

生口は倭国だけのものではなく、例えば高句麗の広開土王碑に、396年、百済が高句麗に大敗したため生口を高句麗へ献じたことが見える。また高麗史(高麗史 十六 世家巻第二十八 忠列王一 忠烈王元年(1274年))によれば、文永の役(1274年)で高麗に帰還した金方慶らは、日本人の子女を捕虜とし、高麗王と妃に生口として献上している。

侍中金方慶等還師、忽敦以所俘童男女二百人献王及公主
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コピペ終わり

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by fanson2004 | 2009-06-09 19:07 | へっぽこ575+α